ここんとこベランダで育てている「しそ」が、最盛期?を迎えており(花満開!ハチぶんぶん!(同じ個体かどうかはわからないけれど1〜2匹のハチが花の間を飛び回っています。ハチを数えるのは「頭」だったかな?))、連日小さなハチを追っ掛け回しては写真に撮るという、まったく生産性もない代わりに消費エネルギーも少なく周囲への負荷も少ないであろう行為に耽っている鯖子です。
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我ながらよく飽きないなぁ… と。もっときれいに撮るために高スペックのカメラが欲しい!と思うわけでもなく、もっといい写真を撮るためにレンズについて勉強してみよう!といった意欲もなく、ただただ現状のままハチを追っ掛け回していられるのだから、バカはお得というかなんというか…
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足がしびれていることにも気がつかず、時には窒息しそう(笑)になったりしながら、夢中になれるのだから堪らない。昔は自分の夢中を職業にしなくては!みたいな考えがあったけれど、今はそういう考えもなく、とても自由。自由がよいことなのかわるいことなのかはわからないけれど、今はこの自由の中に自分を埋没させてみようと…。まぁ、そんなことを思っているうちはまだまだ埋没できていない証拠だとも思うのですが…。
そして、この遊び?に興じていられていることの背景には確実に「デジタルカメラの普及」というものがあるということについて考えてみたいと思うのです。
スティーブ・ジョブズの訃報に接し、Macなしには今の自分たちは有り得ないというほどに影響を受けている私たち夫婦。昨日もたまたま道で会った知人を介して、あるデザイナーの方の「アクリル画」展に足を運んで来たのですが、その方がデザインと並行してアクリル画を描くのは「PCに捕われない自分らしい線を追求するため」ということを、プロフィールに添えられた文章で知ることができました。
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ハチの写真を何百枚と撮っても多少の電池は消費するとはいえデータを消去してしまえば完全になかったことにできてしまえます。だからこそ何百枚も撮影できるのです。これがすべて残るものだとしたら、ましてや現像・プリントにお金がかかるとなっては、写真という遊びに興じることはできません。
「PCに捕われない自分らしさ」の反対の「PCに捕われた自分らしさ?」ということでしょうか… いやいや、そもそもPCに捕われた者に自分らしさがあるの? あるとしたらそれは「ねばり強さ?」…
はぁ…、今日のところはこの辺で…
ぶぃ〜ん^^
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