2011年10月14日金曜日

これからは「根づき」の時代なのだ!?

昨日一昨日の写真が「ラーメン(叉焼)」「ギョーザ」ときて、
たまたま昨日の晩ごはんも「中華」的?だったので、

今日は「ごはん」について書いてみようと思います。

ちなみに昨日の晩ごはんは「鶏とブロッコリーのオイスターソース炒め」と、具はタマネギだけだけどそれは節約とかではなくてとてもシンプル〜!という「ポテトサラダ」、そして写真左端のベランダで初めて収穫して初めて作った「しその実の天ぷら」☆

これでどうなのかなぁ、普通? それとも質素?豪華?

夫は少し物足りなげにあとから冷蔵庫にあったキムチを出して来て最後のごはんを頬張っていました。こういう夫の行為は時々ムッカーっと来るのですが、昨日は私もあとひとくち何かが欲しいなぁ〜と思っていたのでヨシとしました^^

あとひとくち…
あと二年、あと二年… の大泉洋さんの麻生太郎元首相のモノマネを思い出します(笑)

昨日の晩ごはん
昨日の晩ごはん posted by (C)ちゃこ

最近、買い物に行っても「おいしそうだな」と思うものがなく(←これはもう数年前から慢性的に感じている…)、放射能のこともあるし、

なんだかなぁ〜、であります。

本来、人間にとって「食べる」という行為は、大きな喜びをもたらしてくれるはずの行為です。それが「苦痛」とまでとは言わないまでも、「悩みの種」くらいには確実になっているので、こういう思考が何かとんでもない「倒錯」を自分の中に生んでいるのではないかととても不安になります…


で、なんで「中華」だったのでしょう?

そうそう、お弁当を作るようになってから、これまで晩ごはんとなっていたはずのメニューがどんどんお弁当に吸い取られてしまい、急に「アレ? 私ってこんだけしかお料理のレパートリーがなかったんだ」と思い知らされているのと同時に、

なるべく豪華なお弁当を作ろうと思って朝はわりと「こちょこちょ」とした作業をするので、夜は「ど〜ん」としたものが作りたくなるのです。

それで、ジャ〜、ジュワ〜、ド〜ンというイメージのある中華料理的なものに走っている傾向があるのかもしれません。昨日のオイスターソース炒めもわりとおぼえたてのメニューだったりします。が、

それにしても、一応「日本人」というカテゴリーに属している私の手料理が中国的だったり、冷蔵庫にキムチが入っていたり(ちなみに昨日は「チヂミ」を作りました。)

あらためて考えてみると不思議なことです。
ま、そんなの当り前っちゃあ当り前の話なんですけど…

あらためて考えてみたら国なんてものを意識せずにすっかりと根付いている部分というものが確実にあるわけで、そしてそれを「突破口」に問題を解決する!という方向性ではなく、「突破口の反対のもの」としてすでに存在している「根付き?」のようなものに焦点を当て、それを守り育てて行くという方向性を大切にできれば、特別に何かをするという必要もなく大丈夫なんじゃないかな?!と。何が?

何が大丈夫なんでしょう?
大丈夫だった歴史なんて残ってないよね…

ま、でも、あきらめるわけにもいかないわけで、とにかく、これからは「気づき?」なんてものではなく「根づき!」を大切にしたいものです。


な〜んてことを考えている鯖子ですが、
今日も夫はバイトに行っています。

それどころじゃないってか?!^^